2011年9月30日金曜日

メンター




ある女子大のメンター制度に応募しました。




応募した理由は、日本の将来を担う若者、特に女性に信念をもった生き方をしてほしいと常々思っていたからです。


メンター制度に応募してから忘れた頃に、書類選考に通ったので面談に来るようにとの連絡がありました。


時間が余っているわけではないのに、何をやっているのか。


とにかく、データベースに私の経歴や職業が登録されることになりました。


学生の要望があれば、翻訳をやりたい人や海外に留学したい学生に対してメンタリング(この言葉知ってました?)をすることになったのです。

 
メンタリングでは、ボーっとした学生やウジウジした学生をしかりつけてはいけないのでしょうか。


とても難しそう。。。

2011年9月22日木曜日

『シナプスの笑い』





『シナプスの笑い』という雑誌をプレゼントされました。




てんかん、うつ病、統合失調症などの体験者が中心となって記事を書いている雑誌です。






出版社は鹿児島県の(株)ラグーナ出版で、精神科医師、精神保健福祉士らが集まって2008年に設立された会社です。


精神障がい体験者が約30名働いているとのことで、週数回、数時間働いている人や、勤務形態はさまざま。


内容は「統合失調症と就労 七転八倒 ―凜として生きる―」、「壁 ―てんかんをかかえながら―」、「私の幻聴対処法」などなど。


皆ペンネームで書いています。


中には才能がある人がいて、色川武大みたいになれるかな、なんて考えていました。


どの記事も、精神障がい体験者の孤独と苦しみがにじみ出て、読んでいて苦しくなります。


毎号この雑誌を読むのはつらいですが、一度は読んでみるべき雑誌です。


精神障がい体験者たちが社会の一員として働けるようにしたいと思うと同時に、現実に今自分ができることはあるのか、と自問しています。


重い課題です。

2011年9月16日金曜日

心のこもったもてなし

秋葉原から「つくばエクスプレス」快速に乗って約30分、茨城県守谷下車、それから車で15分。





好奇心旺盛な仲間10人と「曼珠沙華」http://www.manjushaka.net/という劇団の稽古場を見学に行ってきました。





到着した所は、2,000坪以上ある敷地に稽古場を含め複数の家屋がある、不思議な雰囲気の場所。

お昼から夜までこちらにおじゃまして、総勢20人くらいの方の、手作りの心のこもったもてなしを受けました。



それぞれの建物の入り口には、庭の草花が飾られ、机の上には手作りの竹の花入に庭の草花が生けられているのです。




夜は稽古場が短時間で宴会場に変身。

ついさっきまできれいにお化粧をして踊りを踊っていたお姉さんが、両手に石を持って走るのです。

石焼きビビンバ用?とんでもない、生け花のそばに置く飾りでした。

歩いている人なんか誰もいません。皆さん広い庭を走ってます。




その結果、あっという間に稽古場が見事な宴会場に変身。机の上には、心のこもったご馳走山盛り。




皆さんの心が一つになって動いている姿がすがすがしく、リーダーの心意気を感じた一日でした。

2011年9月9日金曜日

新規事業 ― メール君&Webリンガル

中小・中堅企業向けの新規事業を立ち上げました!


「メール君」というメール専用のオンライン翻訳サービス(http://www.mail-kun.jp/
       
「Webリンガル」という簡易多言語Web制作サービス(現在Web制作中)




という兄妹サービスです。


先日「メール君」について日経新聞から取材があり、今日(9月9日)の同紙東京版に記事が掲載されています。


失われた20年といわれるように、日本の社会全体の元気がありません。


中でも、日本の会社の99%を占める中小企業が苦しんでいます。


こうした中小企業の海外への進出をコミュニケーションの面でサポートしたい、というのがこの兄妹サービスを始めたきっかけです。


今まで培ってきた翻訳ノウハウ+Webという組み合わせで、弊社の力が試されるプロジェクトの始まりです。

2011年9月2日金曜日

さようなら、山岡洋一さん






敬愛する翻訳家山岡洋一さんが、8月20日に急逝されました。






山岡さんは日本の出版翻訳、特に金融経済の分野ではトップの翻訳家です。


約一年前に、親しい女性の弟さんが山岡さんであることを偶然知り、そのときの驚きについてブログに書いたことがあります。



その後、不思議なご縁で山岡さんとお目にかかってゆっくりお話をする機会がありました。



がんこだけれども理屈に合わないことは言わず、しかも私欲を感じさせない山岡さんに感銘を受け、話がはずみました。


山岡さんは、決して社会におもねず、ご自分の信じる道を生きていらしたので、苦労も多かったと聞いています。


そんな山岡さんの告別式は、簡素で心暖まるものでした。


これから、長年の夢であった古典の新訳に取り組もうとしていらした矢先の訃報でした。


息子さんに「父は私の人生の師でした」という言葉をおくられた山岡さん、ご冥福をお祈りいたします。