2014年6月25日水曜日

神楽坂は楽しい

神楽坂にオフィスを移してから2年が過ぎました。

なんといっても楽しいのは、レストラン、小料理屋、お菓子屋さんなど、様々なお店が周囲にあること。

路地裏に思わぬ店があります。

そんな店のひとつが、プリン、焼き菓子、ジャムなどが置いてあるACHO。



プリンについてる名前が、モンローや私が子供の頃から大好きなプレスリー

昼休みに一人路地を巡り、小さな骨董屋に入ったり、ミニ展示会をのぞいたりしている社員もいます。

神楽坂に移ってから、社員がおいしいランチの店を探して社内SNSに掲載し、その店に夜行ってみたこともあります。

神楽坂なら遊びに行こう、とオフィスを訪ねてくれる人も増えました。

どれも小さなことですが、人とのつながりが豊かになった、というのがオフィス移転の思わぬ付録です。

2014年6月19日木曜日

機械翻訳について

先日アジア太平洋機械翻訳協会(AAMT)の総会とその後の講演会、懇親会に参加してきました。

今年は、機械翻訳に対する翻訳現場の関心が高まっているのを実感しました。

講演会は満員、懇親会も盛況でした。


photo by shizuhao

写真のプレゼンは大分前のものですが、人間は変わりませんが今や"....machines are dumb”ではありません。

そして、大量の情報が氾濫する時代には、機械翻訳の使用は避けて通れません。

ただし、機械翻訳に関わるすべての関係者がある程度満足できる状況を作れなければ、ビジネスとしての成立はむづかしいと思っています。

すべての関係者とは、機械翻訳エンジンの開発企業、翻訳会社、翻訳者、そしてお客様です。

そのためには、機械翻訳を翻訳会社・翻訳者の仕事を奪うものと見るのではなく、新しい仕事の創造という点から考える必要があります。

特に日本において機械翻訳は、技術面でも運用面でもこれからで、大きな期待が寄せられている分野です。

2014年6月9日月曜日

立上げの苦労

もう30年前になる創業時は一人だったので、翻訳の品質確保に悩みました。

Photo: by Kevin Dooley

優秀だと思った人の翻訳品質が悪い場合には、自分でできれば徹夜をしても修正しました。

営業も、翻訳者選択の責任も、そして翻訳品質確保の責任も、何もかも一人で背負っていました。

当時はただ夢中で、苦しいとは思いませんでした。

ふと創業時の出来事を思い出したのは、医療・医薬翻訳の現場でも、社員が同じような苦労をしていそうだからです。

医療・医薬翻訳は専門性が高く、翻訳用ドキュメントの内容と翻訳者の資質がピタッと合わないと大変です。

品質が十分でないことが判明したときは、納期を守りつつ、どのように品質を確保するか、方法を見極めなければなりません。

新たな翻訳者に再度翻訳を依頼するか、内部で修正するか、修正を外部に依頼するか。。。

私が30年前に一人でやっていたことが、社内で行われているのです。

ただし、翻訳業界の環境は大きく変化しています。

最近感じることは、翻訳の世界は大きく変わっていても、30年前とビジネスの基本は変わらないということです。

2014年6月3日火曜日

保科正之

保科正之に興味がある方は、中村彰彦著『名君の碑(いしぶみ)』はお勧めです。

御存じのとおり、保科正之は徳川秀忠が側女に産ませた唯一の子です。

幼少期に武田信玄の娘(見性院)に育てられ、その後保科家の養子として成人し、徳川幕府のために生きた人です。

650ページもあります。

会津藩の家訓の中に、

「大君の儀、一心大切に忠勤を存ずべく、列国の例をもってみずから処るべからず。もし二心を懐かば、すなわちわが子孫にあらず。面々決して従うべからず」

というのがあり、この家訓が会津藩の悲劇の基となりました。

歴史は勝者が作るので、保科正之はあまり表舞台に登場しませんが、義に篤く、既存の考えにとらわれない名君です。


我々の身近な玉川上水が開鑿されたのは、保科正之のお陰だと知ると少し身近に感じられるでしょうか。

よい本と出合いました。