2015年7月31日金曜日

使いたくない言葉


誰が造ったのでしょうか、私にとって使いたくない言葉が増えています。

例えば、「KY」、「イクメン」、「上から目線」、「婚活」など。

「KY」は空気を読めない人を軽くみる言葉。

空気が読めても読めなくてもどうでもいいのに、軽蔑の意味を含んでいるのがひっかかります。

「イクメン」から、育児における男性の期間限定で、補助的役割を思い浮かべます。

父親の役割は補助的であっては困るのですが。

次は、「上から目線」。

この言葉は、自分の劣等感を刺激するような人に使われるようです。

この言葉を使うと、相手を当惑させたり、困らせたりして、自分の劣等感をちょっと忘れさせる効果があるようです。

どの言葉も今までの日本語に近い意味でありながら、軽いのりで便利な言葉なのでしょう。

でも、日本語としの美しさは期待できないので、使わなくてもいいと思っています。


2015年7月24日金曜日

ブログの設定


暑い毎日、お見舞い申し上げます。

今回はブログの設定についてです。

このブログは、ご意見を書き込めない設定になっています。

その理由は、「自分の考えを自由に書きたいから」、「対応能力に難あり」だからです。

それでも、ブログを書くとき、人について、物について悪口を書かない、という基本姿勢は守っているつもりです。

ところが、先日匿名で、このブログのある言葉に対してお叱りの葉書が届きました。

言葉の定義が異なると思っていますが、言葉足らずではありました。

それにしても、世の中広く、色々な方がいらっしゃいます。

知人のプロのブロガー曰く、ネガティブな書き込みに対しては免疫ができていて、ちょっとやそっとでは驚かない、そうです。

ブロガーも楽な商売ではなさそうです。


2015年7月15日水曜日

学生時代の仲間

大学を卒業してもう40数年。

卒業25年には卒業式に呼ばれ、卒業50年には入学式に呼ばれることになっています。

いきなはからいで、あと10年たつと皆どんな「じじばば」になっているのでしょうか。

親しい仲間とは年に数度会っているので、自分の鏡を見ているようなものです。

人生うまくいっている時も苦しい時も、なんとなくわかるのですが、何も言わずに見守るだけで、何年たっても変わらぬ関係です。


先日はあるイタリアンレストランに10人くらい集まって、ギターを弾き、フォークを歌い、語りました。

私は練習したさだまさしの「Birthday」を歌ったのですが、音楽業界にいる業界人の先輩のコメントは無情。

「ギターはよくなったけど、これからは歌だな」でした。


歌は時間の許す限り練習したのに(泣)

その後、お酒を一杯飲みました。

でも本当のことを言ってくれるのはやっぱり友人だけですね(泣)

2015年7月10日金曜日

「愛を積む人」

「愛を積む人」は日常誰にでも起こり得るストーリーの映画です。

ある年齢以上の人、私や貴方、にとっていつでも起こり得ることなのです。

妻を失くして生きる気力を失った夫が、妻が生前に残した手紙に救われ、周囲の人に助けられ自分を取り戻していく話です。

ある夫婦が東京で苦労をして、終いの住処として北海道美瑛に移住してきます。


この夫婦は、毎年結婚記念日に夫が妻に真珠を一粒贈るのが習慣となっています。

その時の経済状況よって、高価な真珠も、小さな真珠もありました。

その真珠とリボンを使って作ったネックレスが妻の一番大切なもの。


美瑛に移住し、妻は心臓の持病を隠し、家の回りに石堀を作ってくれるように夫に頼みます。

妻は、石堀の完成を待たずに死んでしまいます。

石堀の完成を妻は見ることはできませんでしたが、やがて次の世代にネックレスも石堀も引き継がれていきます。


この映画全体にただよう、人の運命の過酷さや、同時に人のやさしさを文章では伝えきれない気がします。

日本の映画もレベルが高く、佐藤浩市、柄本明など、味のある役者がそろっています。

最後に、夫婦の思い出の曲として流れるナット・キング・コールの「スマイル」にはしびれました。

2015年7月2日木曜日

篠田桃紅


最近、篠田桃紅さんを時々テレビで見かけます。

103歳の凛とした美術家です。

最近この方の『桃紅百年』と『103歳になってわかったこと』という本を読みました。

特に『103歳になってわかったこと』は淡々と書かれていて、私の場合は最初に読んだときは、内容が心をすっと通り過ぎていきました。

2回、3回と読み返すにつれ、篠田桃紅さんの私なりのイメージをつかみました。

篠田さんは、孤独を徹底的に人生の一部として受け入れ、一人墨による抽象画を追い求め続けている美術家なのです。

その上で、私にとって一番心に残った言葉は、「年を基準にもの事を考えたことはない」です。

普通、ある程度の年になると誰でも、年を考えて腰が引けることがあります。

それは、自分で自分に限界を設けて、自分を狭い世界に閉じ込める行為なのかもしれません。

1970年頃の篠田さんの作品「Discovery」




夏に岐阜に行く予定があるので、岐阜現代美術館に作品を見に行きたいと思っています。